浦添は首里へ王都が移されるまで琉球王国初期の王都として栄えました。浦添の古い地名である『うらおそい』は、『浦々を支配』という意味もあります。また、のちの首里城の正殿は”百浦添”と呼ばれてます。

浦添(城)王朝時代の三王統の始祖

舜天(しゅんてん) 歴史上最初の王

舜天王統の始祖。
保元の乱に敗れて流罪になった源為朝が伊豆の大島から来琉し、大里按司(琉球が統一される以前に各地のグスクに割拠していた領主)の妹との間に生まれたという伝説があります。1180年に浦添按司となり、1187年に人々に推されて初めて王統を開いたとされてます。
舜天王統は、『舜天』『舜馬順煕』『義本』の三代続きました。

英祖(えいそ) 太陽の子と呼ばれた王

英祖は1260年に、義本から王位を譲り受け英祖王統を開きました。
義本の代に疫病や飢饉が発生し、義本は自身の徳のなさを悟ったとされ、英祖に王位を譲ったとのことです。
英祖の誕生したのは伊祖城ですが、次のような伝説があります。
父は恵祖世主と呼ばれる伊祖城に住む伊祖の按司でした。ある日妻が日輪が飛来して懐に入る夢を見て、身ごもって生まれた男子が英祖といわれています。
太陽の子として生まれたといわれるところから、英祖の神号は英祖日子(えそのでだこ)となっています。
英祖は善政を布いて民の信望を集め、浦添城の近くに沖縄で最初の寺、極楽寺を造り、仏教の普及に努めました。
英祖王統は、『英祖』『大成』『英慈』『玉城』『西威』の五代続きました。

察度(さっと) 伝説から抜け出した実在の王

英祖王統の西威王は若くして病死してしまいました。民は浦添按司の察度を推し察度王統が始まりました。 察度は、非常に貧しい生まれ(天女から生まれたとする、はごろも伝説があります)でしたが、当時強勢を誇っていた勝連按司の娘を嫁にした頃から家運を起こしました。
察度は、牧港に入港した大和(日本)商船から鉄器類を購入し、農具を造り農民に与えるなどして信望を集めました。 察度は初めて中国(明)と国交を結び、1372年に明の太祖洪武帝の招きに応じ初めて明に進貢しました。察度は、約30年間に32回も明に使者を送っています。
察度になって初めて中国(明)の『明史』という書物でその実在が確認されました。
察度王統は、『察度』『武寧』の二代続きました。

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